のびる幼稚園の始まりと沿革
のびる幼稚園創設者月野振吾が、自身が牧師を勤める鷺山教会で開いた幼稚園。のびる幼稚園の始まりの姿です。
当時の教会と幼稚園、園児募集の看板が掲げられている
本園創設者(名誉園長故月野振吾)は昭和4年から19年まで横浜で小さな鷺山教会と鷺山幼稚園を開いたが、先の戦争で三島に転居した。
その後、公立小学校の教員を勤めた後、再び自宅を開放して幼稚園を再開した。園名「のびる」は、野原に生えている葱に似た植物『野蒜』からつけました。
「控えめでもしっかり自分を持った子に育って欲しい」そしてもちろん「のびのびした心と感性」を持ってほしいと願っています。
のびる幼稚園は昭和4年前身の鷺山幼稚園開園以来3年保育を実施してきました。平成30年からは幼保連携型認定こども園に移行しました。
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教会中の様子
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昭和4年鷺山幼稚園開園のときから残る子供用椅子。現在も園で使っています
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こちらは開園から残る机、椅子と同様に当時の大工さんが作ったもの。机も現在のびる幼稚園で現役で使われています。鷺山幼稚園開園に際し、創設者月野振吾の父猪八郎が送ったものではないかと思われます
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机の盤面には保育のために碁盤の目が彫ってあります。現在の保育で使われている恩物や方眼紙の役割を果たしていたようです
沿革
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昭和31年4月5日三島市南本町2-28にのびる音楽園として開園
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昭和41年10月1日三島市南田町5-53に園舎新築移転
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昭和55年12年17日三島市青木164番地に園舎新築移転、学校法人に認可される
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昭和59年10年1日園舎増築完成
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平成2年4月1日園長に月野路子就任 月野振吾名誉園長に就任
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平成2年4月1日新運動場829㎡を買収造成完成
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平成3年11月15日園舎増築完成
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平成10年4月15日創設者月野振吾逝去
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平成10年6月1日北側大運動場996㎡買収造成完成
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平成17年3月31日新遊戯室完成
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平成17年5月8日保育室棟耐震工事完工
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平成18年4月1日月野宰子園長に就任
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平成20年7月10日前園長月野路子逝去
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平成30年2月22日幼保連携型認定こども園移行の為の新園舎完成
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平成30年3月28日旧園舎解体工事完了
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平成30年3月31日のびる幼稚園廃止
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平成30年4月1日幼保連携型認定こども園のびる幼稚園開園
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令和3年4月1日月野進が理事長、山田佳奈子が園長に就任
初代理事長月野義識、前園長月野宰子がそれぞれ名誉職に就任 -
令和5年6月11日前園長月野宰子逝去
のびる音楽園時代
のびる幼稚園創設者月野振吾が、自身が牧師を勤める鷺山教会で開いた幼稚園。のびる幼稚園の始まりの姿です。
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当時の自宅兼園舎と創設者
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創設者夫婦 園は妻貞(てい)と二人で切り盛りしていた
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当時の音楽会の様子。現在ののびる幼稚園の「歌とオペレッタの会」の原点の姿。まだ、まだ貧しい時代だったために風呂敷を体に巻いて衣装とした
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園舎の前の創設者夫婦
黒板の時から次年度の園児募集をした昭和38年頃と思われる -
当時の遠足。今では、全く見なくなったボンネットバスで遠足に行った
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遠足で先導する創設者
当時の保育の様子
現在の園庭に比べ、非常に狭い庭であったが、当時の子供たちは、この三角形をした庭を『三角の庭』の愛称で工夫して遊んでいた。
のびる幼稚園旧園時代
南田町に園舎があった時代、学校法人のびる学園を開設するまで
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園舎の上棟式の様子
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建築中の園舎
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旧園舎(増築後)
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旧園舎(増築後)
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2代目園長故月野路子の保育風景
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当時の保育風景
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当時のお遊戯
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それを描いた月野振吾の絵画
のびる幼稚園新園時代
学校法人の認可を受け、南田町の園舎から現在の青木の園舎に移り、昭和55年(1980)に。学校法人のびる学園のびる幼稚園を開設しました。
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建築中の園舎
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建築中の現園舎1階
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2階部分を増築後の青木園舎
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3代目園長月野宰子の保育の様子
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旧園舎お別れ落書き
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旧園舎解体の様子
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新園舎建築の様子
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上棟式時に基礎に絵を描きました